都市の喧騒から一筋出たところへ、唐突にこんもりとした山があります。
夏の日の夕刻、ちょうど日没時間を過ぎたころ、犬を連れて散歩をしていました。す
ると、わたくしの好きな音が聞こえてきたのです。
ヒグラシが鳴いています。「カナカナカナカナカナカナ」。
目に映る風景を、淡いセピア色がかかった色合いに変えてくれるような、かぼそくも控えめに聞こえてくるヒグラシの声。
立ち止まり、声のする方を見上げてみると、わたくしのその行為に呼応するかのように、また鳴きました。
カナカナカナカナカナカナカナカナ。
リードをはずした犬は、聞いているのかいないのか、前をトコトコ歩いています。車も人もめったにすれちがうことのない細い道です。
山には、お宮があります。その境内には、長久の歳月を立ちつくす対のイチョウの巨木が、青々とした枝葉を広げ、天まで伸びています。
幼いころ、蝉を家に持ち帰った日、母親に「逃がしてやりなさい」と、諭されたことを思い出します。
生きているということは、尊いことです。
ボクは、まるで自分だけが、一生懸命になっているような気がしてしまい、それを邪魔しようとする人と出会うと、何がしか反感を持つ習性があります。些細なことなのにと反省をしても、またそのような場面に出くわすと繰り返してしまうのです。
愚かな者です。
人は、それぞれに、さまざまに生きていくために努力をしているはずです。通り過ぎる人、ひとりひとりが皆そうだと思います。あらゆる生物も同じことです。
自分が、生きるためにあくせくしている分、ひとも等しく若しくはそれ以上に、努力しているのだと思うことができれば、わたくしの愚か癖は、改善されるかもしれません。
生活をしているということに、敬意を持つこと。
そうしようと思います。
「昔にも、同じように注意を受けたことがありましたね」。
ヒグラシのせつない声を聞きながら、そんなことを考えたのでした。
2008.7
9月の風ホームページより
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