2015年11月16日月曜日

建築



建築は、たいそうなことなのか。
建築は、崇高なのか。

人は、生きるために、
暮らしていくために、
または、住むために、建築を行う。

僕は、美しい造形や、豊かな空間をつくるために建築をしているわけではない。
僕は、自分の建築を人に理解してもらうために建築をしているわけではないし、
建築というものを追求したいから、建築をしているわけでもない。

僕は、生きていくために建築をしている。

僕は、生活をするために、その基礎を学び、社会にでた。
そして、わずかな経験を積み、ごく限られた技術を身につけた。
そうして得たわずかな知識を、精一杯活用して、
少しでも人の役に立ち、生きていく糧を得るために建築をしている。

ただ、それだけである。
だが、それは、やさしいことではない。
そのためには、
その時々において、その場所において、
その建築主が建築を行う状態を知り、その範囲で、謙虚に建築を考え、
結果として出来上がったものを公表し、次につなげなければならない。

その手段の一環として、
大きなまたは専門の媒体で、その作品を発表できるということは、
有効であり、喜ばしいことである。

たいそうなのは、また、崇高なのは、建築ではなく、
人々が、生きていくということである。
そこを混同しないように、僕は、建築をする。


(9月の風ホームページより)
2006.10