2016年6月23日木曜日


小柄で痩せた雀が一匹
庭先に降りて、何かついばんでいる。

何気なく見ていると、こちらを向いて何か言っている。
「少しの間、ここで食事させてください」
あぁ、いいよ。勿論。こんな庭で良かったらいくらでも。

それにしても君は、小さいね。
それに、仲間もいないのかい?

はい、最近は食べるものが少なくて、
お母さんとは、この前の大雨の晩にはぐれてしまいました。

子供らしきこの雀は、常に辺りを気にしている。注意深く。


仏壇に一晩あったご飯を、ちぎって土間コンクリートの上にぽいんっと放ってやると、
しばらく飛んで、また降りて、注意深く近づいて、それをついばみました。
注意深く少しずつ、時々口ばしをコンクリートで擦って拭きながら、
時々、こちらを見ながら、きょろきょろしながら、おいしいっと言いながら食べます。

食べ終わると、
土間コンクリートの上を、2、3回歩いて往復しながら、礼を言っている。
喜んでくれているんだね。また、いつでもおいでよ。


小柄で痩せた子供の雀。

有り難うございました。そう言いながら、電柱よりもっと高く梅雨空の彼方へ飛んで行きました。





2016年6月10日金曜日

よしよし、哀愁の新山口



 その日わたくしは、疲れていた。
 

 3時間の研修のために、大阪に呼ばれたのである。
 

 そう、3時間のために、である。それも昼間のど真ん中を3時間だけ抜かれたのである。


 そのために、その日描けばよい図面を、当日朝まで描いていた。そしてそのまま大阪へと向かったのである。
 

 研修は、さっさと終わり、わたくしはいそいそと家路についた。
 

 正確には家路ではなく、広島駅へ向かった。と言うべきか。予定していた新幹線より、1本早いのに乗れそうだ。あらかじめサバを読んで帰宅時間を遅めに家内に申告していが、それよりも1本早く帰れる。よしよし、広島に着いたら中新地あたりで軽く一杯作戦に弾みが付き、にたにたしながら、みどりの窓口できっぷを交換してもらった。うまくいった。よしよし、あとは、車内で飲むビールとつまみを買ってと…。
 

 すべては、順調に推移していた。


 新幹線を予約するとき、わたくしはいつも通路側のきっぷを買う。その方が、ビール(またはコーヒー。ちなみに新幹線内でコーヒーとビールどちらが安いかご存知だろうか。答えは、ビールである。うーむ。)売りのお姉さんが来たときすばやく買えるし、トイレに立つにしても隣のひとに気を使わなくて済む。
 

 なので、その日も当然通路側を買っていた。しかも、大阪までは、JR西日本が誇るひかりレールスターがある。左右2列シートで、通常のグリーン車なみのゆったりシート、静かな走行音、もう言うこと無し。
 

 東京まで、レールスターが走ってくれたらなぁ、文句無しに上京毎に新幹線を使うのにと、いつも思う。そうはいかないので、たまに飛行機に浮気する。なにしろ飛行機は、お世話をしてくれるから。いつまでたっても甘えたがりのわたくしは、降りてから少々不便でも、時々ヒコーキに乗る。「たまには、空の上から地上を見下ろすことは、自らを含めひとの存在の小ささが分かっていいものなのですよ。」などと、もっともらしい講釈を言いながら…。


 さて、話は新幹線。フンフンフーンと鼻唄まじりで席についた。窓側には若いまじめそうな会社員風の男性、出張帰りで、お疲れでーす!という感じで、席につくなり缶ビールのリンプルをプシュ、いいねー、ご同輩という感じで、こちらもご機嫌である。


 リクライニングシートに深々と腰を沈め、まずは一服。「ふー」。たとえ3時間とはいえ、ちゃんと職務をはたし「お疲れ様でした。」と、自らを納得させ、こちらもビールをグビッ。「旨い」。
 

 隣の会社員くんは、ビールのつまみにジャガリコをパリパリおいしそうに食べている。みんな好きなように過ごしていいのだよ、仕事したんだから。などと思いつつ、フレンドリーに話しかけてみた。


 「あのー、どちらまで。」「広島です。」「そうですか、わたしも広島です」。
 おーなんという偶然、そしてラッキー。すかさず、「あの、降りられるとき邪魔でしたら、蹴飛ばしてくださいね。」と、さりげなく、タイマーをかけさせていただいた。
 

 益々よしよしの状態に突入し、ビールを飲み干したところで、ちょうど例のお姉さんがやってきた。さらに、よしよし化はエスカレートし、ウイスキーの水割りセットを買い求め、やさしい笑顔でテーブルの上に氷が山盛りになったコップと、天然水と山崎のミニ瓶を置いてもらった。世話され好きのわたくしは、益々上機嫌になっていった。岡山あたりで2杯目を作り、まだコップの中には半分くらい水割りが残っていた。「すみません、隣に座りたいのですが」。通路に今度は、わたくしよりどう見ても年の多そうな男の人が、立っている。「あっはいはい」、まだ状況がつかめていない。窓の外を見るとなんとなく見慣れた風景。「広島ですか?」「えぇ今、広島を出たところです」。「えっ」。ひかりレールスターは、静かに広島駅のホームを滑っていた。会社員くんは、もういない。きっとぎりぎりまで、蹴飛ばしてくれたに違いない。天井の収納棚に置いていたわたくしの荷物が、彼の席に降ろしてある。


 「新幹線で、お酒を飲まないでね。寝てないのだから。」と、きびしく微笑んだ家内の顔を思い浮かべつつ、密かなる「よしよし中新地」は、画面の色が薄くなるように消えていき、テーブルを片付けてデッキで揺られていた。


 まばらな蛍光灯に照らされた誰もいない冷ややかな、コンクリートの新山口駅上りホームに、鞄と図面ケースを両手からだらりとぶら下げて、わたくしは立っていた。ホームから見下ろす外の風景は、暗い。新山口駅は、山の中にあるらしい。11分間の山口滞在。なんとも寂しい。広島新山口間片道33分。近いようで、結構遠い。


 広島駅から隣席が予約されていて、よかったと思おう。無理やり、幸運だったと思おう。そうでなければ、わたくしは、翌朝帰宅後、たいへんなことになっていたはず。


 わたくしは、申告予定時刻より早めに帰宅し、「よしよし」と、やさしい笑顔で出迎えられたのでした。

 

2008.6

2016年6月4日土曜日

黒い雨




ここらはのぉ、ほんまは降っとらんのよ。
はぁ?
近所のお医者さんがのぉ、みんなが降った降った言うたら、降ったことになるけぇ、降った言いんさい。いうての、降ったことになったんよ。

子供の頃、祖母から聞いた話し。
ここらの人、そりゃいけんよ。本当に嘘なら大間違い。
だが、ここらの人は、ほぼ被爆当時から、被爆者というある意味偏見と差別を背負い生きてきた。後悔した人もおるかもしれん。

それがなんだ、ここらよりもっともっと爆心から遠い所の人が、今頃になって、実はここら辺も降ったんじゃけぇ、被爆手帳をください言いよる。
降ったか降らなかったかは、分からない。
だけど、70年間、私は被爆者じゃないけぇ言うて生きてきて、その偏見、差別を逃れて生きてきた。これは、事実。

年を取ったら医療費が嵩むよな。
手帳があったらタダになるんでしょ。
なんや、ええとこ取りか、と、思ってしまう。

誰が、儲かるんかね?
子供でも、分かるよね。

母は、爆心地から1.5キロの工場で、女学校の学徒動員で被爆した。耳が不自由だった母は、B29の音が聞こえなかった。いつもと違う音を聞いて周りがみんな外へ出て、それを見て自分も出よう思うた時に、ピカドンが落ちた。
母は、耳が不自由だったから助かった。たとえトタン屋根でも、まだ建物の中にいたから。
そんな今は無き母も、被爆者。同じ被爆者健康手帳。
結婚する時も当然、被爆者。それからずっと被爆者として生きてきたし、わたくしは、被爆二世だ。

それをさあ、なんだよ。
雨が降った?黒い雨?
じゃあなんですぐ、言わんかったんや。

被爆者になりとうなかったんじゃないん?
結婚にも影響するしな。

本当に、黒い雨におうた人は、
何十年経っとても、堂々と主張してください。

爆心から近いからいいとか、遠いからいけんとかそういうことではありません。
誤解や、場合によれば恨まれるかもしれないという畏怖を忍び、書きました。

この時期になると、いつも思い出す亡き祖母の言葉。


2015.8.5 飯田修平