2018年9月22日土曜日
あれ?復活したの?給湯器くん
木曜日、30年近く毎日使っていたガス給湯器くんが、ついにギブアップした。
以前にも似たような症状が出て、慌てたけど、ガスメーターの復帰ボタンを押したらまたいつも通りに直ってくれた。今回も、そうだろうと、シャワーを浴びるために裸になっていた私は、最低限シャツと短パンを身にまとい外に出た。えっと、復帰ボタンは、あ、これだよねと、しっかり押してまた浴室に戻った。だめだ、チェックサイン1が点滅している。おかしいなと、再度同じ作業を繰り返したがだめだった。
メーカーは、もうとっくに給湯器の製造を止めている。TOTOユプロ16号。今までよくもったよなぁ。壊れた事に腹を立てるのではなく、むしろ私は感謝していた。長い間ありがとう。
ガス会社と、設備設計事務所会長に相談して、その朝は、気合で水シャワーを浴びた。
設備設計事務所経由で、給湯器販売代理店さんが昼に来てくれて、状況を確認しその場で見積り書を書いてくれた。
ガス会社さんからは、夕方見積書がファックスで届いた。代理店さんより高かった。
即決で、代理店さんに工事を依頼した。
金曜日、私はシャワーを我慢した。そしてきょう土曜日、朝また気合シャワーしようと浴室に入った。こうしたら湯が出たんだよねと、何気なくボタンを押した。そうしたら何と、そうですよと、普通に燃焼ランプが点き湯が出た。えっ、なんじゃ、使えるじゃん。シャンプーして身体を洗って身体を拭いた。
さて、どうしたもんか?
代理店さんに電話すべきか?
いや、無理をしてきょう製品を入荷させ明日、日曜日に設置すると言ってくれた代理店さんに、今更直りました等と言えない。
だけど、給湯器くんは、復活した。このままだと、廃棄されてしまう。ため息をつきながら、今書いている。
2018.9.22(土)
2018年5月2日水曜日
雨の朝4
庇に落ちる雨音で、目が覚めた。
目を覚ました瞬間に、雨の音が聞こえた。
どちらだろうか。
それぐらいその雨音は、静かだった。
優しくて、気持ちの良い目覚め。
一度も出会ったことのない、幻想に棲む姉の様な人が、少年の自分をさすってくれた。
愛おしそうに、僕の髪を撫でて起こしてくれた。
フェザータッチを感じながら、もう一度目を閉じる。
白く、何もない世界。
雨の朝。
2018年4月3日火曜日
三江線廃止について
ついに三江線が廃止された。
寂しいという新聞投稿があった。もっともだと思う。
しかし僕は、寂しいとか悲しいとかそういう問題ではないと思っている。
社員一人ひとりは、雪かきを始め様々な努力をしてきただろう。
だけど、JR西日本としては努力してきたのか。減っていく客を、指をくわえて見ていただけではないか。
鉄道を利用するのは、地域住民だけではない。旅行者もいれば、鉄道ファンだっている。
ひと昔前、優れた市長が舵取りをしていた時期広島市は、入学希望者が市内の中で最も少なかった基町高校の建て替えに際し、その校舎の設計をある著名な建築家に任せた。エスカレーターが外から見えるガラス張り吹き抜けのある斬新なデザインだ。
その後、あの学校かっこいいよねという噂が次々に広がり、入学希望者は徐々に増え始め、ついには広島で最も人気のある偏差値の高い学校の一つになった。
あの時、あの市長がいなければ、極論すれば、基町高校は三江線の如く廃校になっていたかもしれない。
今、基町高校の生徒は、地域の生徒だけではない。広島市中から、電車に乗ってバスに乗って場合によっては下宿してでも通っている。この様な成功例を、鉄道会社経営者は、知っているのだろうか。何か、知恵をしぼったのだろうか。
そもそも、日本中に張り巡らされたJRのレールは、国民の税金で造られた国民の財産だ。一企業が、儲からないという理由だけでその線区を廃線にして良いものだろうか。僕には、ごう慢としか思えない。
何千キロとある線路の内、たかだか100キロの赤字路線が守られない様な会社なんか止めてしまえと、僕は、思うのである。
2018年3月17日土曜日
飛行機雲
まだ早い春、久しぶりの真っ青い空に、
ジェット機の両翼から、2本の白い雲。
まず長さをチェック、あした、晴れだね。
飛行機の向きは西南西と南西の中間くらい、空港はあっちだから…、沖縄便だね。
沖縄…。
透き通った珊瑚礁の海に、高い入射角から差し込んだ光が乱反射する。
君は、逆光の水平線を、輝きながらシュノーケリングする。
2018年2月8日木曜日
金メダル
常々、様々なミーティング等で私が言っていることがある。
メダルを目指している選手には、メダルは取れない。
せいぜい入賞がいいところだ。
金メダルを目指している選手に、金メダルは取れない。
せいぜい銀か、銅だ。
これらの選手が、仮に目標達成することが出来たとすれば、それはラッキーに過ぎず偶然だ。
では、どうしたら金メダルが取れるのか?
それは、まず自分の目標を、金メダルより高い位置に設定することだ。
それを例えば、ブラックメダルと呼称するならば、
常に、ブラックメダルが取れる為のトレーニングを積み、
練習においては、完璧にブラックメダルのパフォーマンスを続ける。
そして、それにおごることなく、謙虚な気持ちを持ち続け、
他の追随を許さない圧倒的な練習を繰り返し、ブラックメダルの水準を維持する。
本番では、ブラックメダルが取れるイメージを繰り返し、冷静にチャレンジする。
そこまで自分を高めた時、仮に、本来のパフォーマンスが出来なくとも、
金メダルを手に入れることが出来るのである。
この考えは、例えとして金メダルを用いているが、
それは例えば、試験という言葉にも置き換えることができるし、自分の目標に対して何にでも置き換えることができる。
2022.2.21 一部削除編集
2018年2月7日水曜日
「時間は取り戻せない」ある裁判を終えて
昨年暮れ、ある訴訟が終結した。
私としては、相当に長い訴訟期間だったので、一つの区切りとして、ここにその記録を個人的に残す。相手方に対しては、非礼な思いなどは皆無で、むしろ尊崇の念を持ち、書くものとする。この稚拙な文章は、自分が前に向き、突き進む過程において、あーそうだったよねという程度の内容とする。
4年前の年の瀬、ほぼ年収に匹敵する報酬額を、この確認をおろせば貰えると確信した私は、相棒に言った。
「これで正月に、旨いもんでも食べようや。」
相棒は、苦労が報われ、少々の贅沢は許されるといった安堵の、美しい表情を浮かべ、私の提案に頷いた。私は、喜ぶ子供らの表情が目に浮かび、「(この仕事は)母さんが、したんだよ」って誇らしく、子供たちに説明する自分を想像し嬉しかった。
しかし、ひと仕事終えたから家族で食事しようというごく当たり前で、ささやかな望みが、打ち砕かれたのである。(私からすれば)先方からの、確認申請目前になって突然の事業計画中止宣告、そして契約破棄。これが、この裁判を始めなければならなくなった理由である。
それから4年の歳月が流れ、高裁で下った全面勝訴判決。先方は、確定請求額を支払った上で、最高裁に上告した。それは、報酬を手にしたとしても、まだ完全には喜べない状態だ。その後先方の上告から数か月が経ち、最高裁から、先方の上告を受け付けない旨、「棄却」という通知が届いた。これでやっと、この裁判が終わった。それが、昨年暮れのことだ。
さて、本来受け取れる時から4年経過して報酬を貰ったとして、報酬を手にすることが出来なかったその4年間という今日までの時間は、帰って来ない。
この間今日まで、手にすべきことが、手にすべき時に出来なかった、手に出来ていた場合とは大きく変容したであろう様々なことがあった。
全ては、己の不徳の致すところ。ご協力頂いた皆様、関係者の皆様、成功報酬だけで弁護を引き受けてくれた熊野量規法律事務所、そして愛すべく素晴らしい相棒に、この場を借り改めて、御礼申し上げるのである。
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