2016年6月4日土曜日

黒い雨




ここらはのぉ、ほんまは降っとらんのよ。
はぁ?
近所のお医者さんがのぉ、みんなが降った降った言うたら、降ったことになるけぇ、降った言いんさい。いうての、降ったことになったんよ。

子供の頃、祖母から聞いた話し。
ここらの人、そりゃいけんよ。本当に嘘なら大間違い。
だが、ここらの人は、ほぼ被爆当時から、被爆者というある意味偏見と差別を背負い生きてきた。後悔した人もおるかもしれん。

それがなんだ、ここらよりもっともっと爆心から遠い所の人が、今頃になって、実はここら辺も降ったんじゃけぇ、被爆手帳をください言いよる。
降ったか降らなかったかは、分からない。
だけど、70年間、私は被爆者じゃないけぇ言うて生きてきて、その偏見、差別を逃れて生きてきた。これは、事実。

年を取ったら医療費が嵩むよな。
手帳があったらタダになるんでしょ。
なんや、ええとこ取りか、と、思ってしまう。

誰が、儲かるんかね?
子供でも、分かるよね。

母は、爆心地から1.5キロの工場で、女学校の学徒動員で被爆した。耳が不自由だった母は、B29の音が聞こえなかった。いつもと違う音を聞いて周りがみんな外へ出て、それを見て自分も出よう思うた時に、ピカドンが落ちた。
母は、耳が不自由だったから助かった。たとえトタン屋根でも、まだ建物の中にいたから。
そんな今は無き母も、被爆者。同じ被爆者健康手帳。
結婚する時も当然、被爆者。それからずっと被爆者として生きてきたし、わたくしは、被爆二世だ。

それをさあ、なんだよ。
雨が降った?黒い雨?
じゃあなんですぐ、言わんかったんや。

被爆者になりとうなかったんじゃないん?
結婚にも影響するしな。

本当に、黒い雨におうた人は、
何十年経っとても、堂々と主張してください。

爆心から近いからいいとか、遠いからいけんとかそういうことではありません。
誤解や、場合によれば恨まれるかもしれないという畏怖を忍び、書きました。

この時期になると、いつも思い出す亡き祖母の言葉。


2015.8.5 飯田修平
   

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