2016年6月10日金曜日

よしよし、哀愁の新山口



 その日わたくしは、疲れていた。
 

 3時間の研修のために、大阪に呼ばれたのである。
 

 そう、3時間のために、である。それも昼間のど真ん中を3時間だけ抜かれたのである。


 そのために、その日描けばよい図面を、当日朝まで描いていた。そしてそのまま大阪へと向かったのである。
 

 研修は、さっさと終わり、わたくしはいそいそと家路についた。
 

 正確には家路ではなく、広島駅へ向かった。と言うべきか。予定していた新幹線より、1本早いのに乗れそうだ。あらかじめサバを読んで帰宅時間を遅めに家内に申告していが、それよりも1本早く帰れる。よしよし、広島に着いたら中新地あたりで軽く一杯作戦に弾みが付き、にたにたしながら、みどりの窓口できっぷを交換してもらった。うまくいった。よしよし、あとは、車内で飲むビールとつまみを買ってと…。
 

 すべては、順調に推移していた。


 新幹線を予約するとき、わたくしはいつも通路側のきっぷを買う。その方が、ビール(またはコーヒー。ちなみに新幹線内でコーヒーとビールどちらが安いかご存知だろうか。答えは、ビールである。うーむ。)売りのお姉さんが来たときすばやく買えるし、トイレに立つにしても隣のひとに気を使わなくて済む。
 

 なので、その日も当然通路側を買っていた。しかも、大阪までは、JR西日本が誇るひかりレールスターがある。左右2列シートで、通常のグリーン車なみのゆったりシート、静かな走行音、もう言うこと無し。
 

 東京まで、レールスターが走ってくれたらなぁ、文句無しに上京毎に新幹線を使うのにと、いつも思う。そうはいかないので、たまに飛行機に浮気する。なにしろ飛行機は、お世話をしてくれるから。いつまでたっても甘えたがりのわたくしは、降りてから少々不便でも、時々ヒコーキに乗る。「たまには、空の上から地上を見下ろすことは、自らを含めひとの存在の小ささが分かっていいものなのですよ。」などと、もっともらしい講釈を言いながら…。


 さて、話は新幹線。フンフンフーンと鼻唄まじりで席についた。窓側には若いまじめそうな会社員風の男性、出張帰りで、お疲れでーす!という感じで、席につくなり缶ビールのリンプルをプシュ、いいねー、ご同輩という感じで、こちらもご機嫌である。


 リクライニングシートに深々と腰を沈め、まずは一服。「ふー」。たとえ3時間とはいえ、ちゃんと職務をはたし「お疲れ様でした。」と、自らを納得させ、こちらもビールをグビッ。「旨い」。
 

 隣の会社員くんは、ビールのつまみにジャガリコをパリパリおいしそうに食べている。みんな好きなように過ごしていいのだよ、仕事したんだから。などと思いつつ、フレンドリーに話しかけてみた。


 「あのー、どちらまで。」「広島です。」「そうですか、わたしも広島です」。
 おーなんという偶然、そしてラッキー。すかさず、「あの、降りられるとき邪魔でしたら、蹴飛ばしてくださいね。」と、さりげなく、タイマーをかけさせていただいた。
 

 益々よしよしの状態に突入し、ビールを飲み干したところで、ちょうど例のお姉さんがやってきた。さらに、よしよし化はエスカレートし、ウイスキーの水割りセットを買い求め、やさしい笑顔でテーブルの上に氷が山盛りになったコップと、天然水と山崎のミニ瓶を置いてもらった。世話され好きのわたくしは、益々上機嫌になっていった。岡山あたりで2杯目を作り、まだコップの中には半分くらい水割りが残っていた。「すみません、隣に座りたいのですが」。通路に今度は、わたくしよりどう見ても年の多そうな男の人が、立っている。「あっはいはい」、まだ状況がつかめていない。窓の外を見るとなんとなく見慣れた風景。「広島ですか?」「えぇ今、広島を出たところです」。「えっ」。ひかりレールスターは、静かに広島駅のホームを滑っていた。会社員くんは、もういない。きっとぎりぎりまで、蹴飛ばしてくれたに違いない。天井の収納棚に置いていたわたくしの荷物が、彼の席に降ろしてある。


 「新幹線で、お酒を飲まないでね。寝てないのだから。」と、きびしく微笑んだ家内の顔を思い浮かべつつ、密かなる「よしよし中新地」は、画面の色が薄くなるように消えていき、テーブルを片付けてデッキで揺られていた。


 まばらな蛍光灯に照らされた誰もいない冷ややかな、コンクリートの新山口駅上りホームに、鞄と図面ケースを両手からだらりとぶら下げて、わたくしは立っていた。ホームから見下ろす外の風景は、暗い。新山口駅は、山の中にあるらしい。11分間の山口滞在。なんとも寂しい。広島新山口間片道33分。近いようで、結構遠い。


 広島駅から隣席が予約されていて、よかったと思おう。無理やり、幸運だったと思おう。そうでなければ、わたくしは、翌朝帰宅後、たいへんなことになっていたはず。


 わたくしは、申告予定時刻より早めに帰宅し、「よしよし」と、やさしい笑顔で出迎えられたのでした。

 

2008.6

0 件のコメント:

コメントを投稿