受賞について、今、わたくしが思っていることを、正確に書き残そうと思った。
授賞式に出席して20日が経とうとしている。
それだけ時間が経過して尚、今、喜びがわたくし自身を包み込んでいる。
「バス通りの家」
施主の要望を聞き、敷地を見た。繰り返し、敷地に立ち、わたくしはある形をイメージした。
それは、突然の閃きのようでもあり、天空から降りてきたようでもある。
それについては、よくひとに聞かれるのだが、言葉では旨く表現できないし、どうでもいいので、その後どうしたかという話にする。
その当時、それは今日とあまり大差ないかもしれないが、
自らの持つ建築に関する経験の粋を、尽くそうと血みどろになった。
壮絶なまでの、妥協無きディテールの極致。
本気で立ち向かってくる現場。
さらに、それを上回るエナジー。
まさに、職業上における男同士の戦争のようだった。
完成した家を、わたくしを見つめ続けていた老齢のカメラマンが、
是また決死で、印画紙に焼き付けた。
その結果、メジャー専門誌編集部員が、広島まで見に来たのである、その家を。
しかし、都合で内部取材が叶わず、掲載見送りとなった。
オープンハウスでは、尊敬する建築家が、
「ここまでくると、レバハンが、邪魔に見えるね。」そう、言い残してくれた。
不要な物を、一切排除した結果だと思っている。
この家に関しては、これで終わりだと思っていた。
それから数年。
たまたま千代が見ていた、コンペ情報。
たまたま、さらに、気が向いて登録申請手続きをした千代。
本人も忘れていた。
わたくしは、知らなかった。
その後半年が過ぎた頃、
主催者側代理店の営業部員の来訪。
急ぎ生写真を張り付けての、応募となった。
審査委員長、伊東豊雄。前年入選者の中に、槇文彦の名前。
その他、歴代受賞者の中に、偉大な建築家の名前多数。
賞は、特に権威ある賞とは言い難い。
そこそこの人が、応募すれば誰でも取れると思っていた。今でも、思っている。
しかし、わたくしは無理だと、本当に思っていた。
どういう経緯で、わたくしが選ばれたか。
それこそ、偶然の賜物であろう。
だが、今日まで、僅かずつではあるが、わたくしなりに積み上げてきた結果が、
ほんの少しでも、影響しているはずだとも思う。
そこが、嬉しいのだ。
時間は、掛かった。だが、今、細い光が、確かにわたくしを照射している。
これは、事実だ。
それが、わたくしを喜ばせているのである。
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