2018年2月7日水曜日

「時間は取り戻せない」ある裁判を終えて




 昨年暮れ、ある訴訟が終結した。

 私としては、相当に長い訴訟期間だったので、一つの区切りとして、ここにその記録を個人的に残す。相手方に対しては、非礼な思いなどは皆無で、むしろ尊崇の念を持ち、書くものとする。この稚拙な文章は、自分が前に向き、突き進む過程において、あーそうだったよねという程度の内容とする。


 4年前の年の瀬、ほぼ年収に匹敵する報酬額を、この確認をおろせば貰えると確信した私は、相棒に言った。
「これで正月に、旨いもんでも食べようや。」
 相棒は、苦労が報われ、少々の贅沢は許されるといった安堵の、美しい表情を浮かべ、私の提案に頷いた。私は、喜ぶ子供らの表情が目に浮かび、「(この仕事は)母さんが、したんだよ」って誇らしく、子供たちに説明する自分を想像し嬉しかった。

 しかし、ひと仕事終えたから家族で食事しようというごく当たり前で、ささやかな望みが、打ち砕かれたのである。(私からすれば)先方からの、確認申請目前になって突然の事業計画中止宣告、そして契約破棄。これが、この裁判を始めなければならなくなった理由である。

 それから4年の歳月が流れ、高裁で下った全面勝訴判決。先方は、確定請求額を支払った上で、最高裁に上告した。それは、報酬を手にしたとしても、まだ完全には喜べない状態だ。その後先方の上告から数か月が経ち、最高裁から、先方の上告を受け付けない旨、「棄却」という通知が届いた。これでやっと、この裁判が終わった。それが、昨年暮れのことだ。

 さて、本来受け取れる時から4年経過して報酬を貰ったとして、報酬を手にすることが出来なかったその4年間という今日までの時間は、帰って来ない。
 この間今日まで、手にすべきことが、手にすべき時に出来なかった、手に出来ていた場合とは大きく変容したであろう様々なことがあった。

 全ては、己の不徳の致すところ。ご協力頂いた皆様、関係者の皆様、成功報酬だけで弁護を引き受けてくれた熊野量規法律事務所、そして愛すべく素晴らしい相棒に、この場を借り改めて、御礼申し上げるのである。







0 件のコメント:

コメントを投稿