2011年10月13日木曜日

10月の海・厳島そして、朝焼け。

(どうやら、ボクがこの通りに面してガラス張りのシゴト場で、椅子に座ったまま寝ているのは、近所で有名らしい)

その日、いつもの浜に向かう国道は、ひどく渋滞していた。

忙しい(本当は、それくらいの時間は、いくらでもあったはず)という理由で、
今年初めての、海水浴が10月になってしまった。

国道上に、2時間もクルマを置きっぱなしにしていたので、
浜に着いたら、3時を回っていた。

オレは、帰りのフェリーの時間を気にしながら酒を飲むのが嫌だなと思っていたので、
到着時間の遅れを、むしろ歓迎していた。
(これで、野宿する理由がついた。)

海水温は、気温が下がったほど低くない。
実はこの時期、泳いでいる魚が見えるほど、海水の透明度が高い。

家族全員、存分に泳いだ。

夜は、焚火とワイン。
浜の料理長わたくしが、ステーキ肉を焼き、パスタを茹でた。
(これを書いている途中、ここで隣の洋食屋さんで、酒を飲み少し酔ってしまった)

それぞれが、それぞれの夜を過ごし、夜は、それらとは無関係に更けていった。

そして、神々しい日の出と朝焼け。










2011年10月6日木曜日

夜間飛行

 
滑走路に延びる照明に、全てスイッチが入る。
離陸の許可を待つ時、
ボクは、
身動ぎもせず、その瞬を待っていた。
 
管制塔から、
アナウンスが、聞こえる。
 

空に広がる無数の輝き、海岸と一線を画する都市の光。
 
君に会えた喜びの、憶。
儚く、眩く、強烈に瞼を刺激する。
 
それはまるで、
点滅する翼灯の如く。
 

 

2011年9月20日火曜日

はんかち

 6才の娘が、ハンカチに、アイロンを置いてくれた。

 いつもよりきちんと折り目が、ついている。
ポケットに入れて、出かけた。

 小さな掌で、
一生懸命、置いてくれた。

 小さくたって、女の子なのですよ。
一生懸命、置いてくれた。
 かわいいし、嬉しかった。

 いざ使おうとすると、
もったいない気がした。

 かわいい小さな手で、一生懸命。

 有り難う…。






 

2011年9月7日水曜日

日々雑感

植物は、
種を蒔かなければ、芽も出なければ、花も咲かない。

次の種を蒔かなければ、次の花は、咲くことができない。
至極当然。

日々、
今ある細々とした一本の木の、世話に追われている。
枯れそうになる前に、水やりをし、虫を払う。
次々に襲いかかる日照りや、害虫…。


多忙が、次の多忙を生む。
負のスパイラル。


さて、
どうやって、
この回転を、
せめて、止めることが、できるだろうか。


多くの人が、
困難と対峙している。
困難さ故に、
他人に、潤いを与えること是また、
困難。

こちらにも、
負のスパイラル…。

自然

自然とは、この地球上のこと。
無限の天体に浮かぶ、この星のこと。

それはね、
人間なんて、ちっぽけなものさ。

自然の力が、
人の想像を超える?
そんなの、
当たり前のことさ。

人は日々、
自然の脅威と裏腹に、自然の織り成す美しさに、こころ癒されている。




(災害に遭われた方々に、心よりお見舞い申し上げますとともに、
お亡くなりになられた方の、ご冥福をお祈り申し上げます。)

2011年7月30日土曜日

ヒグラシ

 都市の喧騒から一筋出たところへ、唐突にこんもりとした山があります。

 夏の日の夕刻、ちょうど日没時間を過ぎたころ、犬を連れて散歩をしていました。す
ると、わたくしの好きな音が聞こえてきたのです。
 ヒグラシが鳴いています。「カナカナカナカナカナカナ」。
 目に映る風景を、淡いセピア色がかかった色合いに変えてくれるような、かぼそくも控えめに聞こえてくるヒグラシの声。

 立ち止まり、声のする方を見上げてみると、わたくしのその行為に呼応するかのように、また鳴きました。
 カナカナカナカナカナカナカナカナ。


 リードをはずした犬は、聞いているのかいないのか、前をトコトコ歩いています。車も人もめったにすれちがうことのない細い道です。

 山には、お宮があります。その境内には、長久の歳月を立ちつくす対のイチョウの巨木が、青々とした枝葉を広げ、天まで伸びています。


 幼いころ、蝉を家に持ち帰った日、母親に「逃がしてやりなさい」と、諭されたことを思い出します。


 生きているということは、尊いことです。


 ボクは、まるで自分だけが、一生懸命になっているような気がしてしまい、それを邪魔しようとする人と出会うと、何がしか反感を持つ習性があります。些細なことなのにと反省をしても、またそのような場面に出くわすと繰り返してしまうのです。

 愚かな者です。


 人は、それぞれに、さまざまに生きていくために努力をしているはずです。通り過ぎる人、ひとりひとりが皆そうだと思います。あらゆる生物も同じことです。

 自分が、生きるためにあくせくしている分、ひとも等しく若しくはそれ以上に、努力しているのだと思うことができれば、わたくしの愚か癖は、改善されるかもしれません。
 生活をしているということに、敬意を持つこと。
 そうしようと思います。


 「昔にも、同じように注意を受けたことがありましたね」。


 ヒグラシのせつない声を聞きながら、そんなことを考えたのでした。



 2008.7


9月の風ホームページより

2011年7月27日水曜日

教育的配慮



夏の甲子園、県予選が終わった。

結果的には、強豪シード校の優勝で順当というところだろう。

しかし、
準決勝第2試合で、事件が起きた。

局面は、延長10回表2アウト3塁。 スコアは4-4。
ノーシードながら準決勝まで勝ち進んできたチームの攻撃。
守備についている方は、古豪のシード校。

打者に応じて、2人のピッチャーを、レフトの守備と入れ替えていた。
そしてこの場面、
2度ピッチャーズマウンドに上がった選手を、さらにスイッチし、レフトへ交代させプレイオンとなった。

高校野球特別規則。
1イニングに2度マウンドに上がった選手は、次に違うポジションに着いてはならない。

タイムがかかる。
ベンチの控え選手が、レフトへ入れば問題はない。
しかし、守備側チーム、すでに全選手を使いきっていたのだ。

フィールドプレイヤーが9人に満たなくなった場合、即没収試合となり相手チームの勝ちになってしまう。(記録上は、9-0)

79分間の中断。

広島県高校野球連盟が出した結論は、ここで試合を止めれば禍根が残る、
教育的配慮から、それまで投げていたピッチャーのレフトへの交代を審判員は受理していないことにしたのだ。

すでにレフトの守りに着いていたはず選手が、再びマウンドに戻り試合再開。

攻撃していたチームが初球を弾き返し、スコアは5-4に。


だが、ここからが、問題なのだ。

その裏、つまり延長10回裏、
1点リードされた古豪チームが、1アウト満塁と攻め立てたのだ。
一打出れば、逆転サヨナラの場面。


結果的には、5-4のまま試合は終わった。

タラレバを語ることは、意味を持たないとよく言われる。
しかし、
10回の裏、ワイルドピッチもあっただろうし、スクイズも可能だった。
それで、勝敗が入れ替わっていたらどうなっていただろうか。

どちらの禍根が大きいだろうか。

教育的配慮とは、いったい何か。

あなたが、責任審判員だったらさて、どうしただろうか…。


(2016.7.25加筆)